最近話題になっている「セクシー田中さん」関連問題について

ブログ復活第一弾として、最近バスっているテーマを取り上げてみたいと思います……と、その前にまずは私自身のスタンスについて述べます。

私はツイッターでもそうですが、基本的に公の場では政治的な話題や、真偽がはっきりしていなくて真っ二つに意見が割れているような話題については極力触れないようにしています。

それはどちらもカルト的な信奉者がおり、なんでも二元論で片を付けたい人たちの論争に巻き込まれたくないからです。ただ、それは自分に対する批判を恐れているというよりは、show the flag(旗幟を鮮明にしろ)を強制し、味方でない者は全て敵と捉える人々に息苦しさを感じるからです。確かに物事がすべてスパッと白黒わかれるようであれば、わかりやすい社会になるのかもしれませんが、ぐーたらひねくれものの私としては「え~、別に中庸でよくない?」なーんて思ったりします。

物事をとらえるのに二元論ほど明快なものは無いのですが、二元論のどちらかに物事を落とし込むのは想像以上に難しいことはすぐに想像できます。例えば、しょっぱなから荒れるのを承知で言えば、現在継続中のウクライナとロシアの関係なんかそうなんじゃないかなと思ったりします。世間の意見の傾き具合を見ると、ウクライナは正義でロシアが悪だという意見が大勢を占めているな、という印象を私は感じたりするわけですが、本当にそうなんでしょうか。

最初にウクライナの国境を越えて攻め込んだのはロシア側です。これは否定できない事実でしょう。またロシアが第二次大戦中からかなり無茶苦茶なことを自分の国以外(自国の国民に対してさえ)に行ってきたこともよく知っています。ですが、結局何が戦争開始の原因になったのかはいまだにはっきりと特定できていません。戦争というのは政治的解決手段の一つですが、基本的には誰もやりたがりません。なぜなら社会的及び人的リソースを大幅に消耗するからです。戦争が始まって喜んでいるのは軍産複合体のろくでもない企業だけです。

そうなると、核兵器を持つ巨大国家であるロシアが何の理由もなくウクライナに突如攻め込んだという事実に、私は強い違和感を感じます。誤解してほしくないのは、私はロシアにはロシアの言い分があるというようなロシアを擁護する気は全くありません。いかに言い訳をしようが、武力を最初に行使したロシア側により大きな責任があると考えるからです。

ただ、ウクライナは絶対善なのかと問われると、ん? と思ったりするわけです。いずれにせよ当事者にしかわからないことはあるわけで、情報が出そろっていない段階で白黒はっきりつける必要はないのかな、と思います。

さて、前置きが長くなりすぎたのでそろそろ本題に。最近、セクシー田中さん関連の話題がバズっているみたいですね。ただ何はともあれ、まずは亡くなった芦原妃名子氏のご冥福をお祈りいたします。

私も「セクシー田中さん」をちょろっと読んでみました。最初はそれほど印象は残らなかったんですが、地味なOLが夜は着飾ってベリーダンスを踊るという場面を見て猛烈に物語に引き込まれ始めました。まだ1巻しか読んでないのですが、作者が未完で亡くなってしまったことを非常に残念に思います。

こういうことがあると、よく「何も死ぬほどのことは」という意見も出ますが、本人にとっては自死意外に他に救いの道を見つけることができなかったという事なのかもしれませんね。誰かに相談してもその場は少しだけ気がまぎれるかもしれませんが、それで何か解決するのかというと、そうでもないようです。海千山千の古だぬきばかりが生息しているマスメディア相手に独力で戦うのは無茶もいいところで、いまさら何を言っても遅いのですが、弁護士やらなにやらその手の調整が得意な人間に任せるという手段もあったのではないかと思います。

ただ、彼女は自分の産みだした作品を本当に愛していたんだな、という気持ちはよく伝わりました。だからこそ自分で何とかしなくちゃ、と思ったのかもしれませんね。いずれにせよ、きらめく才能がまた一つこの世界から消えたことに深い悲しみを憶えます。

さて、現在ネットでは正確不正確な情報が玉石混合状態で飛び交っています。私はそれらの情報の真贋を判定する能力も資格もないのでそれは他の方に任せるとして、今回の「セクシー田中さん」事件を見つめながらここでは物書きを趣味とする一人の人間として、少々(少々といいつつ、いつも長いw)自分なりの意見を述べてみたいなと思います。

私は主にPixivで小説を、ニコニコ動画でMMD動画を、以下の2種類に分けてアップしている者です。
①いずれも自作原案でオリジナルスクリプトを組み立てた作品
②原案またはスクリプトの一部をお借りしてアレンジ編集して作成した作品

①に関しては公序良俗に反しない形での発表である限り、好きなように発表すればいいでしょう。今回問題になっているのは②のケースであろうかと思われます。私は②のタイプの作品を発表するとき、特に気をつけていることが2点あります。それが以下の2点になります。

・原作者または原案作成者へのリスペクトを忘れない事
・原作の背後には、原作をリスペクトしている多くのファンの存在があること意識しておく事

今回の「セクシー田中さん」事件では上記のいずれもがないがしろにされていたように私には感じられました。 私は直接一次ソースを見て確認したわけではないのですが、「必要なのは原案だけで、原作者はいらない」といった趣旨の発言を脚本家が述べていたというのを目にして、とても悲しくなりました。脚本家というお仕事がどのようなものか私は存じ上げませんが、ひとつだけ自信をもって断言できることがあります。それは……

【原案がなければ今回のドラマは生まれなかった。また、原作者がいなければ原案も生まれなかった】 

この事実です。私は二次創作を行う者の一人として、私が作った作品に原作者からクレームが入ったら問答無用で【ジャンピング土下座】です。なんならこれが二次製作者の作品制作に対する掟とすら思っています。

ただ、自分にも経験があるので、脚本家やドラマ制作者の気持ちは十分理解できる気がします。例えばMMDでドラマを作成する場合、原作の全部あるいは一部を借りて映像向けにスクリプトを改変し、モデル、ステージ、小物、エフェクト、BGM、SE、カメラなどの設定をして、長い時間をかけて動画を作成していきます(ちなみに拙作【歌った船】は作成に4カ月かかっています)。すると何を勘違いしたのか、これは自分で作成した作品だ、異論は許さんという成分が気持ちの中に紛れ込んでくるんですよね。まあ、私だけかもしれませんが……

ですが、これは私が一から立ち上げた作品ではないのです。原作あってこその作品なんです。原作にリスペクトを示すのは制作者として当然の心構えで、ましてや【歌った船】の場合、原作者アン・マキャフリィ氏は故人です。私がどのように原作を改変しても彼女は私に文句を言うことができません、私はそれをイケてないと考える人間です。私には彼女の心の中が見通せません。だからこそ、彼女のDNAを残している作品の構成品、例えば人物の性格や、世界観に『大幅な改変』は許されないという観点で動画を作成しています。

それは彼女の産みだした作品を守るということだけでなく、彼女の作品や世界観を愛するファンの人々へのリスペクトでもあるのです。私が彼女の作品を読んで感動したように、他の方々にも同様の感動を持ってもらいたい。そして出来ればその気持ちを共有したい。それだけです。

今回は「セクシー田中さん」という作品がきっかけで不幸な事件が起こってしまいました。ですが、このことを無駄にしないよう、一度冷静に原作者へのリスペクトを考えるきっかけとなることを心から願っています。

 

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